空白日記

書けない苦しみを味わっています

似ている

先週末、京都の龍谷ミュージアムへ行った。

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企画展の名前は「ギリシア・ローマ文化と仏教」。
美術検定の勉強をしているとき、ギリシア・ローマと日本の文化が古代の時点ですでにつながっていたと知ってから、ずっと気になっていたテーマだ。

ギリシア・ローマと日本、地図の端と端にあるような場所同士、接点のないように見える。しかし実際は意外なところにつながりがある。

たとえば唐草模様。
風呂敷や着物で見慣れたあの模様の起源は、古代エジプトの植物文様にさかのぼる。メソポタミアを経てシルクロードを渡り、日本へ届いたという。

次に「コントラポスト」。
片足に重心をかけたポーズのことを示す用語で、ミロのヴィーナスを始めとした西洋の彫刻によく見られる。展示には、それとよく似た立ち方の仏像があった。偶然ではなく、西洋の美意識を取り入れた結果だと言われている。

このような影響を受けたのは、アレクサンドロス大王の時代にガンダーラとギリシア・ローマの交流が盛んになったから。文化交流の中で、お互いの国の宗教も、美意識も、境界線を越えて混ざっていった。

日本もまた、異国の思想を受け入れた国だった。
仏教が伝来する前、土着の神を信仰していた日本は、仏を外来の神として認識した。やがて神と仏を同一の存在として捉える考え方が広まる。対立ではなく、融合する形で自分たちの風土の中に落とし込んだ。

似たものができあがるのは、異文化を拒まず受け入れた姿勢があってこそのようだ。

ベゼクリク石窟大回廊(復元展示)

…思えば、わたしも母に似てきた。

母は仏教の考え方が好きだった。仏教についての本を読み、神社仏閣を巡り、法話を聞く。子どものわたしはその趣味に付き合わされた。いろいろな場所に連れて行ってもらい、どこかで聞いたらしい法話についてわたしに解説してくれたが、内心退屈で、「なにが面白いのだろう」と思っていた。むしろ、父が亡くなってから仏教に熱中し始めた母が、少しだけ怖かった。

それが今、わたしは自分の足で仏教の展示を見に来ている。
それに、むしろ仏教に興味を抱いている。

母もまた、親の好きなものに興味の湧かない子どもだったと聞いた。
学生時代は日本史に興味がなかったらしく、日本史好きの父と話が合わなかったという。けれど大人になり、たまたま観た大河ドラマや神社巡りをきっかけに、日本史に惹かれていった。「今なら父ともっと深い話ができたのに」とよくぼやく。仕事で家を空けることが多い父を前にして、どこかよそよそしい態度になってしまう当時の自分が、父と深いつながりを持つ唯一の話題だったかもしれない、とも。

悲しいことに、好きは遺伝しない。分かり合えず距離が開くこともある。
でも受け入れる余地は受け継がれるのかもしれない。

唐草模様が海を越えたように、コントラポストが仏像の身体に宿ったように。
母のたどった道にわたしは片足を踏み入れた。

似ているということは、まったく同じになることではない。異なるものを、拒まずに置いておくこと。その余白があるかぎり、人も文化も、どこかでつながっていくのだろう。